児玉源太郎は1852年(嘉永5)徳山に生まれ、明治の陸軍軍人、政治家として活躍しました。戊辰戦争、西南戦争で活躍し、参謀本部、陸軍大学校で兵制の近代改革を推進するなど陸軍の基礎を築く一方、陸軍大臣、内務大臣、文部大臣を歴任し、政治の世界でも手腕を発揮しています。
台湾総督時代は民政長官の後藤新平とともに近代化を進め、日露戦争の名参謀ぶりもよく知られています。日露戦争後は総理大臣候補にも名前が挙がるなど大きな期待が寄せられる中、惜しくも1906年(明治39)55歳で逝去しました。まさに開国後、日本が世界の列強諸国に並ぼうとした時代をリードした人物です。我が身を捨て、国際情勢を見据え、日本をはじめ、東アジアが向かうべき道を示すことができた指導者でした。
郷土への思いも強く、1903年(明治36)生家跡に私設の図書館「児玉文庫」を開設しました。ふるさとの教育文化の向上に役立てばと人々にも開放、全国でも先駆けた取り組みはイギリスの新聞にも紹介されました。独自色のある運営も画期的で、「児玉文庫」は明治、大正、昭和と多くの人に親しまれ、郷土の教育文化に大きな役割を果たしました。
台湾総督時代は民政長官の後藤新平とともに近代化を進め、日露戦争の名参謀ぶりもよく知られています。日露戦争後は総理大臣候補にも名前が挙がるなど大きな期待が寄せられる中、惜しくも1906年(明治39)55歳で逝去しました。まさに開国後、日本が世界の列強諸国に並ぼうとした時代をリードした人物です。我が身を捨て、国際情勢を見据え、日本をはじめ、東アジアが向かうべき道を示すことができた指導者でした。
郷土への思いも強く、1903年(明治36)生家跡に私設の図書館「児玉文庫」を開設しました。ふるさとの教育文化の向上に役立てばと人々にも開放、全国でも先駆けた取り組みはイギリスの新聞にも紹介されました。独自色のある運営も画期的で、「児玉文庫」は明治、大正、昭和と多くの人に親しまれ、郷土の教育文化に大きな役割を果たしました。
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