西暦 | 和暦 | 年齢 | ||
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1852 | 嘉永5 | 1歳 | 閏2月25日徳山藩士児玉半九郎の長男として徳山の本丁(現岐山通)に生まれる。幼名百合若。 | |
1856 | 安政3 | 5歳 | 10月 | 父半九郎亡くなる。浅見栄三郎の次男巌之丞が養子となり、家督を継ぐ。巌之丞改め次郎彦忠炳と名乗る。 |
1858 | 安政5 | 7歳 | 次郎彦、姉久子と結婚。 | |
1859 | 安政6 | 8歳 | 7月 | 藩校興譲館に入学。 |
1864 | 元治元 | 13歳 | 8月 | 次郎彦、暗殺される。源太郎が幼いため家名断絶。 |
1865 | 慶応元 | 14歳 | 7月 | 家名復興。中小姓となり、禄高25石を与えられる。 元服し源太郎忠精と名乗る。 |
10月 | 馬廻役、禄高100石を許される。 | |||
1868 | 明治元 | 17歳 | 献功隊二番小隊半隊司令士として三田尻より出陣し、秋田土崎港に上陸、青森に向かう。五稜郭の戦いの後、6月 東京に凱旋する。 | |
1869 | 明治2 | 18歳 | 8月 | 兵部省御雇でフランス式兵学修業を命じられ、京都二條川東第一教導隊に入り、11月に大阪兵学寮に移る。 |
1870 | 明治3 | 19歳 | 2月 | 脱隊騒動を鎮定。 |
6月 | 兵学寮を卒業し、大隊第六等下士官に。 | |||
12月 | 陸軍権曹長に任じられる。 | |||
1871 | 明治4 | 20歳 | 4月 | 陸軍准少尉に任じられ、第三連隊第二大隊副官となる。 |
8月に陸軍少尉、9月に陸軍中尉に任じられる。 【写真】中尉時代▶ |
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1872 | 明治5 | 21歳 | 7月 | 陸軍大尉に任じられる。 |
8月 | 大阪鎮台地方司令副官心得となる。 | |||
1873 | 明治6 | 22歳 | 3月 | 大阪鎮台歩兵一大隊近衛へ編入に伴い上京。 |
1874 | 明治7 | 23歳 | 2月 | 総督野津陸軍少将の参謀渡辺少佐の随行員として佐賀派遣を命じられる。 佐賀の乱で銃傷を受け、福岡仮病院で療養。 【写真】佐賀の乱で負傷▶ |
4月 | 大阪に移り療養。 | |||
8月 | 熊本鎮台准官参謀となる。 | |||
10月 | 結婚。陸軍少佐に任じられる。 | |||
1876 | 明治9 | 25歳 | 8月 | 歩兵分遣隊巡視のため琉球へ派遣される。 |
10月 | 神風連の乱。 | |||
11月 | 神風連の乱の顛末報告のため上京。 | |||
1877 | 明治10 | 26歳 | 2月 | 西南戦争に出征、熊本城中に籠城。 |
5月 | 熊本馬見原に戦い、熊本各地を転戦。 | |||
10月 | 熊本城に凱旋。 | |||
1878 | 明治11 | 27歳 | 2月 | 熊本鎮台参謀副長を免ぜられ、近衛局出仕となる。 麹町区富士見町に住む。 |
3月 | 熊本鎮台残務取纏御用兼務を命じられる。 | |||
12月 | 勲功調査御用掛兼務を命じられる。 | |||
1879 | 明治12 | 28歳 | 1月 | 陸軍始分列式の参謀を命じられる。 |
5月 | 西南戦争での軍旗奪取の報告遅延の科により謹慎3日。 | |||
7月 | 陸軍参謀となる。 | |||
10月 | 天長節飾隊式諸兵参謀を命じられる。 | |||
12月 | イタリア皇族御迎引飾隊式の際の参謀を命じられる。 | |||
1880 | 明治13 | 29歳 | 4月 | 歩兵中佐に任じられ、東京鎮台歩兵第二連隊長兼佐倉営所司令官となる。 【写真】中佐時代▶ |
1883 | 明治16 | 32歳 | 2月 | 歩兵大佐に任じられる。 【写真】大佐時代▶ |
1885 | 明治18 | 34歳 | 5月 | 参謀本部管東局長となる。 |
7月 | 西部検閲使属員を命じられる。参謀本部第一局長となる。 | |||
12月 | 明年陸軍始観兵式諸兵参謀長を命じられる。 | |||
1886 | 明治19 | 35歳 | 3月 | 歩兵操典並に鍬兵操典取調委員、臨時陸軍制度審査委員となる。 |
4月 | 戦時衛生事務改正委員となる。 | |||
5月 | 砲兵隊編制審査委員となる。 | |||
7月 | 士官下士官進級下調委員となる。 | |||
9月 | 陸軍大学校幹事を兼務。 | |||
10月 | 軍用電信材料改良委員となる。 | |||
1887 | 明治20 | 36歳 | 2月 | 陸軍職工所編制審査委員となる。 |
4月 | 士官下士官進級下調委員となる。 | |||
6月 | 監軍部参謀長となる(兼職はもとの通り)。 | |||
10月 | 陸軍大学校長を兼務。 | |||
1888 | 明治21 | 37歳 | 1月 | 陸軍将校生徒試験委員長を兼務。 |
1889 | 明治22 | 38歳 | 5月 | 輜重兵監缺員中臨時輜重兵監職務取扱となる。 第二師団特命検閲使属員となる。 |
8月 | 陸軍少将に任じられる。 | |||
1890 | 明治23 | 39歳 | 3月 | 陸海軍大演習見学。 |
9月 | 戦用器材審査委員となる。近衛、並に第一、第二、第三、第四師団特命検閲使属員となる。 | |||
1891 | 明治24 | 40歳 | 10月 | 視察のためヨーロッパへ出発。 |
1892 | 明治25 | 41歳 | 8月 | ヨーロッパより帰国。陸軍次官に任じられ、陸軍省軍務局長となる。 |
11月 | 鉄道会議議員、陸軍省所管事務政府委員となる。 | |||
1893 | 明治26 | 42歳 | 4月 | 理事兼任。 高等官一等に叙せられ、陸軍省法官部長となる。 |
5月 | 出師準備品目数量取調委員長、出師準備品保管出納及検査方法取調委員長となる。 | |||
8月 | 輜重車輌審査委員長となる。 | |||
11月 | 陸軍省所轄事務政府委員となる。 | |||
1894 | 明治27 | 43歳 | 3月 | 「友ヶ島第二砲台設計に係ル」砲工合同会議議長となる。 |
7月 | 村田連発銃戦時弾薬数額及徒歩兵各装具調査委員長となる。 | |||
8月 | 日清戦争勃発。 | |||
9月 | 参謀本部御用取扱兼務。 | |||
10月 | 陸軍省所管事務政府委員となる。 | |||
12月 | 大本営所在地へ派遣される。 | |||
1895 | 明治28 | 44歳 | 2月 | 大本営所在地へ出張。 |
3月 | 大総督府派遣中大本営陸軍参謀となる。 | |||
4月 | 臨時陸軍検疫部長を兼務。 | |||
4月 | 日清講話条約調印。 | |||
6月 | 参謀本部御用取扱兼務、鉄道会議議員を免ぜられる。 臨時台湾電信建設部長、臨時台湾燈標記建設部長を兼ねる。 台湾事務局委員となる。 |
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11月 | 臨時広島軍用水道布設部長兼務。 | |||
12月 | 陸軍省所管事務政府委員となる。 | |||
1896 | 明治29 | 45歳 | 5月 | 願いにより兼官を免ぜられる。 |
6月 | 鉄道会議議員、被服装具陣具及携帯糧食改良審査委員長となる。 | |||
10月 | 陸軍中将に任じられる。臨時政務調査委員となる。 | |||
11月 | 長崎函館及舞鶴防禦計画審査会議議長となる。 陸軍省所管事務政府委員となる。 |
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1897 | 明治30 | 46歳 | 1月 | 英照皇大后大喪使事務官兼任となる。 |
9月 | 臨時政務調査委員を免ぜられる。 | |||
10月 | 清国威海衛に派遣される。 | |||
12月 | 陸軍省所管事務政府委員となる。 | |||
1898 | 明治31 | 47歳 | 1月 | 第三師団長に任じられる。 |
2月 | 台湾総督に任じられ、第三師団長を免ぜられる。 | |||
1900 | 明治33 | 49歳 | 12月 | 第四次伊藤博文内閣の陸軍大臣を兼務。 【写真】陸軍大臣兼任時代▶ |
1902 | 明治35 | 51歳 | 3月 | 願いにより陸軍大臣を解かれる。 |
12月 | 河野通好を代理人として私立児玉文庫の設立を文部大臣に申請。 | |||
1903 | 明治36 | 52歳 | 1月 | 児玉文庫開庫式を挙行。 |
6月 | ヨーロッパ、南アフリカ及びアメリカへ出張。 | |||
7月 | 第一次桂太郎内閣の内務大臣に任じられる。文部大臣を兼務。 【写真】内務大臣兼任時代▶ |
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9月 | 文部大臣兼務を免ぜられる。 | |||
10月 | 内務大臣を免じられ、参謀本部次長となり、台湾総督専任となる。 【写真】参謀本部次長時代▶ |
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1904 | 明治37 | 53歳 | 2月 | ロシアに宣戦布告。 |
2月 | 大本営参謀次長兼兵站総監となる。 | |||
6月 | 陸軍大将に任じられる。 | |||
6月 | 満州軍総参謀長となる。 | |||
7月 | 東京を出発し、清国青泥窪(ダルニー)に上陸。 | |||
9月 | 旅順に向かう。辞表を提出するが却下される。 | |||
1905 | 明治38 | 54歳 | 2月 | 奉天占領。 |
3月 | 戦況奏上のため帰京。 | |||
5月 | 遼東守備軍司令官臨時事務取扱を命じられる。 満州総兵站監兼務。 |
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9月 | 日露講話条約調印。 | |||
11月 | 大連を出帆。 | |||
12月 | 宇品に上陸し、帰京。参謀本部次長事務取扱を命じられる。 | |||
1906 | 明治39 | 55歳 | 2月 | 明治37、38年戦役第一勳績審査委員となる。 |
4月 | 参謀総長となる。願いにより台湾総督を免じられる。 子爵を授けられる。陸軍勲功調査委員となる。 明治37、38年戦役陸軍凱旋観兵式諸兵参謀長となる。 |
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7月 | 南満州鉄道株式会社設立委員長となる。 | |||
7月24日 亡くなる。正二位に叙せられる。 |
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